別れと余韻と、コロンボの街を少し

朝ヨガから始まる最終日
気づけば、この静かな時間にも慣れてきた自分がいましたが、ちょうど最終日!笑
ヨガのあとは、いつもどおりのあたたかい朝ごはん

今日は最後のトリートメント
この6日間、毎日手を通して触れてくれた
セラピストの手が、今日は少し名残惜しい!笑


マッサージのあとは
“ハーバルバス”と呼ばれる、ハーブを煮出したお風呂にゆっくりと入る。

これがまた、寝てしまいそうなくらい気持ちがいい。
実際、少し寝てしまっていたかもしれない。笑
この中にお湯とハーブを隙間なく入れ、仰向けになります。
香り、温度、隙間から入ってくる光、鳥の声、波の音
すべてが整っていて
「肌に効く」というよりも、「身体に染みこむ」という感覚でした。
色々こだわるより、BGMは自然音が一番癒されるかもですね。

施術が終わると、担当してくれていたドクターとセラピストにご挨拶。
短い間だったけど
ふたりとも本当に素晴らしい方でした。
ただ上手なだけじゃなく
人として信頼できる雰囲気というか
丁寧で、温かくて、でも干渉しすぎない距離感がちょうどよかったです。
最後のシッダレパランチを食べたあと、車に揺られてコロンボへ。
途中で立ち寄ったのは
スリランカが誇る建築家ジェフリー・バワのギャラリーカフェ



緑と光の使い方がとても印象的で
「建築に、ここまで自然がむき出してきて調和がとれるんだなあ」と
感動しました。









その後、コロンボの街を少し歩き

外観だけにはなったけれど、
印象的なモスクも見ることができた。
※モスク(mosque)は、イスラム教の礼拝を行うための宗教施設のことです。アラビア語では「マスジド(masjid)」と呼ばれ、「ひざまずく場所」「礼拝の場所」という意味を持っています。

(入場時間に合わなかったのはちょっと残念)
そして、空港へ。
スリランカの空港は拍子抜けするほど静かで
チェックインもとてもスムーズ
旅の終わりとしては、ありがたいテンポでした。
中国東方航空で、まずは上海へ
そこから乗り継いで、福岡へと無事戻りました。

(帰りは心なしか席が広くて、USBも使えた!笑)
最後にスリランカ視察の色々まとめ。
スリランカの海に入ってみて、まず思ったのは「これは無理だ」でした。
泳ごうとすると思っていた以上に波が高く
あっという間に足をとられてしまいます。
もがくより、ただ身をゆだねるしかない。
自然には敵わない。
だからこそ、抗わない。
これは、他の事にも通づるものがあると思っていて
みなさんからしたら、そんな当たり前のことを
改めて、僕は身体で知ったような気がします。
それと、スリランカに来て、現地の人たちと話す中で
ふと気づいたことがあります。
海外と日本を行き来することで
かえって日本の文化の輪郭が見えてくるということ
遠くから山を眺めると初めて形がはっきり見えてくるような感覚に似ています。
当たり前に感じて、気づいてないけど
日本にも、沢山誇れるもの、誇れる場所がある。
もちろん、日本にいてもそういった“輪郭”に触れる方法はあるように思います。
たとえば自分の年代と違う世代にふれてみる
子どもたちと話してみる
自分の親世代の方々の話をじっくり聞いてみる
そういった事で、自分の輪郭か見えてくる。
都会のにぎわいに身を置いたり
静かな田舎に足を運んだり
異なるものを行き来することで
自分の中の当たり前が、少しずつほどけていくような気がします。
こういう感覚も大切にしたいなぁと。
スリランカで感じた「ただ在る」ことの豊かさ。
言葉にしきれないその感覚は、
どこかシャンプーやスパの時間にもつながっていくように思います。
あれが効く、これが整う、という評価の手前にある
「理由はないけど、なんか心地いい」
という感覚。
それはきっと、論理や科学の外側であって
感覚のなかにあるものだったりするのかなぁと。
ここまで書いておいてなんですが
良かったものを、無理に言語化したり、文字にしようとすると
その豊かさや、経験がスッと圧縮されてしまうようなもったいなさもあって
感じたものの解像度が粗くなる?感じ?
だから、すべてを明らかにしないまま残す
という選択もあっていいのかもしれません。
「余白」を、そっと置いておくこと。
あれこれ詰め込みすぎない、考えすぎない
手間をかけすぎない
静かでいて、想いがのった仕事のかたちもあるんだなぁと。
終わったあとに「なんか、ちょっと良かったなぁ」と思えるような
本当の意味で、頭を洗う。
精進します。


























