湯シャンで挫折する人はどんな理由ですか?

こんにちは、モイヘアサロンの松枝です。

湯シャンで挫折する人はどんな理由ですか?

湯シャンとシャンプーを上手く両立されてる方からのご質問。

今日もよろしくお願いします。


湯シャンで挫折する人の理由には、

心の在り方が大きく関わっているように思います。

「お湯だけで洗うなんて、本当にこれでいいのだろうか?」

そんな不安や迷いから

続けられなくなる方が多い気がします。

人間は、これまでのルーティンを変えたり

積み上げてきた知識と違うことをすることに

強い抵抗を感じる生き物なんだそうです。

そこに加えて

日本人特有の協調性や、連帯感が作用し

「みんなと違うことをしている自分」

を許せない気持ちが出てくる。

これもまた大きな壁かもしれません。

もともと好奇心がある人

従来のやり方に疑問を持っている人

あるいは

「今のやり方ではうまくいかない」

「かえって悪化している」と感じている人は

比較的すんなりと

湯シャンへ移行しているように思います。

とはいえ、これはとても難しい問題です。

人から「いいよ」と言われても

そう簡単に変えられるものではありません。

それぞれの人生で積み上げてきた経験が違うからこそ、

それを崩すことは

大きなストレスになる方も多いです。

臭いが気になる、ベタつきが気になる

そういった意見も伺いますが

一番大きな要因としては

マインドセットなように思います。


話は少し変わりますが

美容師をしていると、目に見えない美しさへの興味がわいてきます。

パッと見で感じる部分以外のところ

と言ったらいいのかもしれません。

「可愛い」「美しい」「綺麗」「カッコいい」「似合う」

そういったことを考えれば考えるほど

むしろ見えない美しさへの興味が深くなっていきます。

直感的に「良い!」と思うデザインや

人から褒められるデザインとは、いったい何なのか?

そう考えた時にまず浮かぶのは

・バランスだったり

・素材の良さだったり

・ビフォーアフターによる変化だったり

髪の毛・顔の骨格・全身とのバランス

いわゆる黄金比と呼ばれるものに近づけることで

パッと見た瞬間に

「しっくりくる」「気持ちいい」と

感じられること。

人間は遺伝子を残すよう

プログラミングされているとも言われますので

その視点で考えると

髪の毛が艶やかで若々しいことは

それだけで魅力的に見える

要素になるのかもしれません。

「変化」も大きなポイント

その人のイメージに何かしら変化があったとき

例えば、バッサリと髪を切った場合

もともとの印象と違う髪型になることで

そういった新しい情報に関して

反射的に人の目は、引きつけられてしまうように

なってるんやないかなぁと思ったり。

もちろん、これ以外にも多くの要素があります。


ここまでのことは理解できたり、ある程度言語化できる部分です。

言語化できる部分とはいえ

他にもデザインひとつとっても

髪質と合っているのか?

自宅で再現可能か?

肌の色と調和しているか?

など、まだまだ深掘りできる要素はたくさんありますので

学び続けなくてはと思います。

ただ、そのさらに先にある

「見えない美しさ」にも、興味があります。

俗にいう“雰囲気”と呼ばれるものです。


たとえば会話の中でよく使われる表現で言うと

「歳を重ねるごとに生き方が顔に出てくるよね」

「雰囲気イケメン」

「生き方が素敵」

「目力がある」

といったものがイメージとして近いかもです。

「見えない美しさ」って

なんなのか?興味が尽きません。

髪型やデザインは外から見える形なんだけど

その奥には、どういうものを大事にしてきたか

どんな選択をしてきたか

日々どんな気持ちで過ごしているか

そういう背景があると思いますが

何故それがじわじわとにじみ出てきて

雰囲気とか空気感として伝わるのかは謎です。

実際にデザインの事でも

顔の左右が完全に対称じゃなくても

髪型が完全に対称じゃなくても

「ちょうど良いズレ」が魅力になる場合もありますし

むしろ、シンメトリーすぎると不自然に感じることもあり

微妙なバランスのズレに

無意識で安心感を覚えることもあります。

完璧すぎず、ちょっとした“間”や“余白”があると

受け手が想像を膨らませやすくなる

そんな事もあります。

2025年の時点では

AIが作る美人の画像は、確かにバランスがとれていて

模範解答のような綺麗な顔にはなりますが

不自然さ、違和感、綺麗すぎる感

何かAIで作ったと気づいてしまう感、

個人的には、愛着がわきづらい気はしてます。


なので、美容を考えれば考えるほど

無意識に美しさを感じる領域は

理屈だけで学ぶのはほぼ無理だと思ったりします。

美しいと思うもの、人を見て「しっくりくる」と感じる瞬間をただ繰り返し観察し

感覚をストックしていく

「これ良いな」と思った瞬間に理由(理屈)を探そうとせず、まずは素直に感じる

視覚だけでなく、手触りや動き、空間での見え方、雰囲気、空気感を体験する

デザインや雰囲気を観察して、自分なりに再現してみて

真似るだけではなく、少しずつ自分の感覚と重ねていく

忙しさの中では無意識の領域に落ちにくいので

自然を感じたり、静かな時間で自分の感覚を整理する

「理屈で理解する」より「体と心で覚える」領域も勉強していたいなぁと。

繰り返すことで、無意識の感覚に徐々にアクセスできるようになるのかもしれません。

まだ誰も説明できてない、解明されていない領域ってワクワクしますよね。

そんな事を普段の生活や、旅先で考えてたりします。

感覚的なものを言語化するのは難しいので

このブログ記事も、伝わりにくいものとなりましたが、笑

振り返ると、自分がサロンを休んで遠出してまで見つけたいと思っているものは

そういう美を探してるからなのかもと

自分の頭の整理になりました。

僕も、自分の思い込みや、脳みそを書き換える意識をもって

色んなモノをみたり、新しい土地に行ったり

チャレンジしたいと思います。

参考になれば幸いです。